THX 1138の感想でも書きましたが、SFディストピアは好物なので。
しかし、好き嫌いは大きく分かれる作品のような気がします。
今観ると技術が古くさいのは仕方ないですし。
最初、クレジットが音声で語られてまずおどろきでした。
分断されたズームが多用される緊張感。
独特の色味と現代と近未来がまざった不思議な雰囲気。
赤色の画面切り替え(消防署や火を表す??)……などなど、
面白い表現が多かったのですが、トリュフォー映画ではこういうのが多いのでしょうか?
鑑賞後メイキングを見た時に、誰かが言っていたのですが(確か音楽のバーナード・ハーマンの伝記を書いた人だったような…?)、
最初のクレジットでは音声(=言語がない)だが、最後のTHE ENDは文字で表記されている(エンドクレジットはない)ことに、制作者の意図を感じますね。
(本が違法の世界で言葉を読まない生活→本を読むようになってブックピープルとの生活…でしょうか。)
そして、音楽が頭にこびりつくように印象的です。
バーナード・ハーマンでは、タクシードライバーのテーマが大好きなのですが、
今回も素晴らしかったです。
多様される中低弦と打楽器の音が良い。トリュフォーは当初シロフォンを気に入らなかったようですが、それがさらに異様さを醸し出しているように感じます。
また、この映画ではジュディー・クリスティが一人二役(主人公モンターグの妻とモンターグが本を読むきっかけを作る女性)をしています。
別人のように違和感がないのですごいです。
未来世界が舞台ですが、今では当たり前になった薄いTV画面がある一方、電話はダイヤルのもののままです。
よく鉄腕アトムの世界でも携帯電話はないと言われますが、やはり電話の発達は予想しにくいのもなのかもしれません。
このようなデザインのアンバランスさから、当時の未来世界の想像が垣間見えて面白いです。
インタビューなどを見る限り、原作者(レイ・ブラットベリ)がこの映画をとても気に入っているようでした。この前の「ソラリス」の話とは対照的ですね。
ここから先は映画というより原作の話になってしまうかもしれませんが…
作中では「本(言語)=知性=理性」と「無知=本能=欲望」という対比になっているのかと思いました。
モノレールであからさまに欲を示唆させる人々や、リンダの「治療」も怪しい(櫛で髪とかしてるし…考えすぎですか?)。
消防署のポールを使わなくなるのは、それも技術に対する不信なのか?
色々気になるところがありました。
最高に皮肉なのは最後に明らかになるテレビ報道の在り方ですね。
報道以外の放送もとんでもないものばかりですが、この報道は傑作です。
しかし、何だかんだ、この映画の登場人物は体制側も班体制側も偏っていると感じました。
本を暗記して内容を伝達することが重要とされますが、私はブックピープルの在り方にも疑問を感じます。文化の差もあるのかもしれませんが、私は本を踏めませんし、なかなか捨てられません。だから、彼らによる本の処分も納得できません。
最初のリンゴがちゃんと最後にも出てきたり、細かいところしっかりできてます。
ダリの本のページがめくれるシーンは印象的でしたね。様々な本が出てくるので、その表紙を見つけたりする楽しみもありました。
一つ暗示的だと思ったのは、署長が老婆の家の秘密図書館で図書の害悪を論じる時、手に持っている本がヒトラーの『我が闘争』なんですよね。面白い。
でも、確かに署長の言っていることも分からなくはないんです。
哲学に対する率直な意見とか(ちなみに私のゼミは哲学です)。
一番恐ろしいのは、無知と化した人々の集団によって自動的に動かされるシステムであって、
そこには署長のような考えすらもはや存在しないんですよね…
……結局署長以上の権力者は出てこないっていうのは妙にリアルでした。
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